我が誇れる街・余土

  • 日本初の盲目村長(明治31年)になった人
  • 貧農救済の為先頭に立ってボランティア活動した人
  • 共同作業、共同仕入れなど村民の融和と農業の近代化を進めた人
  • 青少年の教育にも注力、余土を”教育村”にした人
  • 耕地整理を企画立案し豊かな村の礎を築いた人

森 盲天外

眼底出血を発症後、両眼失明。母親の介護を受けながら食事をしていた恒太郎は、こぼして膝の上に落とした米粒を、手でまさぐっていてふと気がついた。この草の実に過ぎない一粒の米が炊かれ咀嚼(そしゃく)されることによって、人間の肉体や精神にまで進化するという事実に心をうたれた。たとえ失明しても人間として生まれた以上、粉骨砕身世の為に尽くそうと悟った。この「一粒米」(いちりゅうまい)の悟り」を起点として、地方自治、農業改革、障害者教育、公民教育などに大きな足跡をのこした。

余土の魅力・使命

一粒米:教育・農政文化の模範

 地方自治の先覚者 森盲天外 

             

 松山子規会副会長 今村威

 

 ここに、「坂の上の雲」の3人の主人公たちに、勝るとも劣らない人物がいる。世界で初めて、盲人の身で自治体の長となった。

又、私財を投げうって自ら奔走して私立盲聾学校設立こぎつけた。

盲天外(もうてんがい)森恒太郎(つねたろう)「1864~1934」である。

恒太郎は、元治元年伊予郡余土村(現松山市余戸)の庄屋森謙藏の長男として生まれた。

                                    編集・発行/松山市文化協会(きらめき)より抜粋

 小作保護積立米の頭陀袋を掛けた森恒太郎      盲天外(森恒太郎):世にも稀なる盲目村長と余土村の自治(石田伝吉著)

伊豫のデンマークと紹介された余土村

 現松山市(市坪・余戸・保免)

  1. 模範村ー余土村      
  2. 新興農村の輪郭
  3. 副業の振興を計る
  4. 今井青年の両親
  5. 一春に千五百円
  6. 共同一致で当たる
  7. 養蚕、養鶏実行
  8. 理想農村の歩み

 

昭和5年6月大阪毎日新聞の記事    


         1954年(昭和29年)旧温泉郡余土村市坪町、現、松山市市坪西町、(余土地区)             撮影:林住夫

現・愛媛県武道館入口

現・愛媛県武道館