森 盲天外
眼底出血を発症後、両眼失明。母親の介護を受けながら食事をしていた恒太郎は、こぼして膝の上に落とした米粒を、手でまさぐっていてふと気がついた。この草の実に過ぎない一粒の米が炊かれ咀嚼(そしゃく)されることによって、人間の肉体や精神にまで進化するという事実に心をうたれた。たとえ失明しても人間として生まれた以上、粉骨砕身世の為に尽くそうと悟った。この「一粒米」(いちりゅうまい)の悟り」を起点として、地方自治、農業改革、障害者教育、公民教育などに大きな足跡をのこした。
一粒米:教育・農政文化の模範
地方自治の先覚者 森盲天外
松山子規会副会長 今村威
ここに、「坂の上の雲」の3人の主人公たちに、勝るとも劣らない人物がいる。世界で初めて、盲人の身で自治体の長となった。
又、私財を投げうって自ら奔走して私立盲聾学校設立こぎつけた。
盲天外(もうてんがい)森恒太郎(つねたろう)「1864~1934」である。
恒太郎は、元治元年伊予郡余土村(現松山市余戸)の庄屋森謙藏の長男として生まれた。
編集・発行/松山市文化協会(きらめき)より抜粋
小作保護積立米の頭陀袋を掛けた森恒太郎 盲天外(森恒太郎):世にも稀なる盲目村長と余土村の自治(石田伝吉著)
現松山市(市坪・余戸・保免)
昭和5年6月大阪毎日新聞の記事
1954年(昭和29年)旧温泉郡余土村市坪町、現、松山市市坪西町、(余土地区) 撮影:林住夫
現・愛媛県武道館入口
現・愛媛県武道館